作品
諸行無常。
形あるものはいつか色褪せ、そして朽ちてゆきます。その手の中に留めておくことは長い人生の中で一瞬しかありません。
大好きで、大切なものほど、引越し、時間の経過、コレクションの売却など、ずっと手にしておく事は難しいもの。
写真は、今の時代、その時の風景をずっと鮮明に残せます。
あの時抱いていた想い空気、愛着。
いつかその物と別れる時が来ても、あなたの記憶と共にいつでも蘇らせます。
だから今、目の前にあるうちに、大切なものを写真という形で留めておく。それがこのメトロポリタンアーカイブスというプロジェクトです。
このプロジェクトの立ち上げに至る、3つのエピソード。
生まれ育った街のかつて賑わった商店街。今のその場所には20年前の賑わいはもうない。しかしシャッターが軒並み下がった商店街をあるいていると、今の時代には見られない独特で豪華なデザインの建物があることに気づく。もう築70年ぐらいだろうか。その当時、デザインへかけるお金があり、粋な設計をできる人達がいたのだろうと思わせる外装や屋号。
それらは時代が進むとともに失くなっていく。今もなお古びれない堂々とした建物でも長く残しておくことはできない。その後に残るのは商業主義で殺風景な似たりよったりのデザインの建物たち。
心にとどめておくよりもっと鮮明にこの手に残しておきたい、そんな願いが心によぎる。
生前、コレクターであった母。佐藤製薬のサトちゃん、たまごっち、プラレール、昭和レトロの漫画やグッズ・・・。その時代や背景を物語る色鮮やかな物達は部屋を埋め尽くしていた。
一つのテーマで集めきった後、新しいテーマでコレクションを始める。その時、場所と資金をつなげるため、前に集めていた物はネットオークションやまんだらけで売り払う必要があった。
コレクションというのは非常に労力がいる。情報を集め、足繁く店や市場に足を運び、何度も空振りしてやっとアタリがある。綺羅びやかなコレクションの裏には泥臭い時間と、収集戦略がいる。そうして集めたものも手元に置くのは場所とお金がかかる。ずっととっておくというのは難しいのだと痛感した。
母はカービングも好きだった。スイカや人参に彫刻を施し色とりどりの野菜の彫刻が部屋を埋め尽くした。もちろんそれらもながく残すことはできない。捨ててしまうことになる。
コレクションもカービングも、そこから情熱や魂が渇望するものが垣間見える。ただの物体の集まりではなく、その人の情熱の結晶ようなものであった。
きれいな状態で永く残しておくことができればいいのに。そんな想いが燻っていた。
1995年。今日のデジタルカメラの原型であるCASIO QV-10を手にして以来、無数の写真を撮ってきた。以降、SONY DSC-P1、CASIO EXLIM EX-S3 、EX-S500、EX-S10 CASIO、SONY DSC-TX55、SONY DSC-TX30と、胸ポケットに入るコンパクトデジタルカメラに魅せられ、多様な機種を渡り歩く。いつでもすぐに取り出して日常をたくさん撮り貯める。QV-10の頃からずっと欠かさずやってきた。
2018年。ふと考えた。無数の写真を何故撮影し残しているのだろう。
その写真たちを見返したその時には、大好きだったその瞬間、楽しかった思い出、その時に抱いた感情、発した言葉、空気、匂いが、忘れていたものが、鮮やかに湧き出てくる。
そう、この瞬間の為に撮っている。
大切な物も大好きだった人も、そのまま記憶の中に留めるだけではいずれ失くなってしまう。その人の顔は、その時に抱いていた気持ちは、好きだった事さえ、いつか記憶から消えてしまう。
だから無数に残している。
その事に気づいたとき。写真というものが失くなりゆく街並みや大切なコレクションをずっととどめておく手段である事に気づく。進歩した今の技術と機材があればひと世代前であれば貴族しかなし得なかった「綺麗な写真でずっとのこしておくこと」ができる。そう確信する。
愛くるしい街並みも、情熱のままに集めたコレクションも、その鮮やかさのままに、たくさんの写真としてずっと残しておくことができる。
そんな想いを抱き、今ここに、カメラを手に撮りこのプロジェクトを立ち上げた。